先駆者の勇気に応えたい

1979年6月より約2年間、日本の主だった全国紙に『先駆者の勇気に応えたい』というタイトルの企業広告が毎月2回掲載されました。広告主は、大手医療機器製造販売の株式会社テルモ。当時は体温計のメーカーとして知られていました。
広告の内容は、古代ギリシャ時代から現代にいたるまで、医学の歴史の中の驚くようなエピソードと、果敢な挑戦を行い医学の発展に貢献した人々の勇気を紹介するもので、シリーズ全体を通して立派な医学史を構成していました。当時中学生だった自分は、この広告が大好きで、毎回切り抜いてノートに貼っていました。
後に高校に進学し、同級生の中に、同じようにこの広告を切り抜いて大切にしている人がいました。「これを読んで医者になろうと思った」と言っていましたが、言葉通り彼は医学部に進みました。
今、医院開業コンサルタントという仕事を通じ、多くの優秀な医師の方々とお会いしています。その際に思い出されるのがこの同級生のことです。胸中に抱く夢や憧れ、そして高い志は少年時代の特権だったと、中年になった自分は懐かしく思い出します。


医療法改正法案

厚生労働省の医療法改正法案はいよいよ来年の通常国会に提出する方針が打ち出されました。改正の内容については既に報道などで明らかになっていますが、その中で、在宅医療の推進、介護との連携を含む地域包括ケアの構築も主要な検討テーマとなっています。(『日経ヘルスケア』2013年9月)

日本人の平均寿命は世界でもトップレベルです。これは世界でも類を見ないほど、高水準の医療が広く普及していることの証ですが、一方では将来における病床ニーズの増加の原因にもなります。だからといってこれから病床を増やすことは非現実的です。
そこで住み慣れた地域、住み慣れた自宅での療養ができる社会の実現を目的に在宅医療の推進、介護との連携などが重要視されるわけです。

しかし、一方で介護従事者の離職率は高率で慢性的な人手不足が続いています。特に、訪問介護事業では全体の約70パーセントの事業所が人手が不足していると感じています。在宅の現場を担う職員は非常に厳しい環境におかれているのです。(『日経ヘルスケア』2013年9月)

住み慣れた地域や家庭で安心して暮らせるように、という謳い文句は介護保険制度導入の頃から言われてきましたが、現実は思うようには改善されていません。今回の医療法改正では、予算での対応はもとより、制度面での対応も視野に入れた改正となっています。すでに24年度の診療報酬・介護報酬の改定では在宅医療と介護が重点的に評価されるようになりました。この改正で人々が安心して自宅で療養できるように、そして医療や介護の現場を支える人たちのサポートができるようになればいいと強く思います。


盛夏雑感

異常ともいえる猛暑もようやくおさまる気配を見せています。
日本各地で、熱中症が多発し、特に高齢者の方が人知れず亡くなるという痛ましい事例も報道されていました。
厳しい暑さの中、体調が急変すると助けを呼ぶまもなく動けなくなってしまいます。もちろん、きめの細かい見守りを実施するため、地域社会で多くの人たちが働いています。しかし、それにも限界があります。
これを補うには、通信技術を利用したインフラの活用が重要でしょう。すでに非常押しボタン機能の付いた携帯電話が普及しています。今後はインターネットやスマートフォンを用いた、より高機能な介護端末も出てくるでしょう。
人と人とをつなぐ通信技術と、人の手によって行われる介護を融合させる技術の普及する日も近いかもしれません。


真夏の甘酒

「一夜酒となりの子まで来たにけり」(小林 一茶)

一夜酒とは甘酒のことです。甘酒の用意をすると、となりの子どもまでがやって来たという様子をよんでいます。江戸時代、薄板一枚隔てた長屋の生活が偲ばれる、とてもユーモラスな句ですね。
ところで、この句の季語なんですが、もちろん「一夜酒」、つまり甘酒です。でも、季節は夏なんです。甘酒とは、本来は夏の代表的な飲み物だったんです。
気温の高い夏は酒が造れません。だから酒蔵では酒が作れない間の副業として甘酒を造っていました。甘酒は子どもでも飲めて、水分、塩分、糖分が同時にとれる、理想的な栄養ドリンクだったのです。江戸の往来を、甘酒売りが闊歩していたのでしょうか。
スーパーでは涼しげな水色のパッケージで缶入りの甘酒が売られています。夏の甘酒はこれから普及していくでしょうか。


わたしのこれから。

何かにつけて頭をよぎる言葉があります。今日はその中のいくつか。
まずは、にほうジャーナルというローカル紙に掲載されていた、深川内科クリニック副院長の言葉です。

「死の間際に感じる「人生の五つの後悔」を、緩和ケアで勤務したBronnie Wareさん(オーストラリア)が発表しています。一番多かった後悔は、「自分自身に忠実に生きればよかった」ということだそうです。「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく」生きればよかったという無念さが残るらしいです。(中略)世間でうまくやっていくために、自分の感情を抑えて好きなことをしてなかったな~という後悔が多いそうです」
(深川内科クリニック副院長 深川 富美代  平成25年2月1日付 にほうジャーナル)

今年46歳になりますが、とても長生きしたとしても90歳が限界でしょう。そう考えてみたら人生の折り返し点をとうに過ぎてしまったんですね。

「わたしがどう生きるべきか問うのではない。死がわたしの生き方を問うている」

 これは昔読んだ本にあった言葉です。
アップルの創始者であるスティーブ・ジョブス氏は常に、「自分が今日死ぬとしたら」と考えていたそうです。死を目前に据えることで、今からやろうとしていたことが本当に自分にとって価値のある行動なのかを判断していたんですね。

これから自分には何ができるかは分かりません。でも、その時々で本当に自分らしく生きられたのなら、その時何をしていたかということは大した問題ではないのかもしれませんね。