大阪万博
いよいよ今月はパリオリンピックが始まります。普段のニュースでもオリンピック関連の時間が増えたように思います。
オリンピックの次に控える大きなイベントはやはり大阪万博でしょうか。来年4月の開催に向けて準備が進められています。
ところで、1985年の国際科学技術博覧会(つくば万博)を見に行きました。目玉は日本で開発されたキャプテンシステムでした。INS回線を利用して文字や画像を用いた様々なサービスが受けられる、当時としては画期的なものでした。会場のいたるところに端末があり、いろいろな情報を得ることが出来ました。今のインターネットに割と近いもので、当時19歳のぼくはその便利さや先進性に強く憧れました。
残念ながらキャプテンシステムは回線コストや端末の料金が高額で普及はしませんでした。つくば万博では盛んに「高度情報化社会の到来」と言われてましたが、その高度情報化社会はインターネットという名前で万博から10年後の1995年から徐々に普及し、利用率が80%を越えたのは2012年ごろ、つまりつくば万博から30年かかってようやく到来します。
あれから40年、大阪万博はどんな未来の夢を見せてくれるのでしょうか。


高齢化
自分が住んでいる地区は農村部で高齢化が進んでいます。
先月末に一人暮らしのおばあちゃんが近くの老人介護施設に入所することになりました。僕は地区の役員をしているので入所前にお会いして今後の事をお話しさせてもらいました。
施設に入所したら地区で徴収する区費はもう払う必要が無くなります。でも、「このまま払い続けてもいいよ」とおばあちゃんが言うんですね。住み慣れた地区とのつながりを保ちたいのかもしれません。この地区の人たちは僕が生まれた時からずっとこの地区で暮らしてきた人たちです。離れがたい気持ちが強いのかもしれません。
幸い、入所する施設は同じ町内にあり、さほど遠くではありません。盆と暮れには自宅に帰ることができるそうです。お盆にはまた元気な姿で帰ってきてほしいです。


長湯温泉
ゴールデンウィークに入り、各地の観光地では海外からの観光客でにぎわっていると報道されています。期間中は何も予定が無いので別に実感はわきませんが、別府や由布院といった温泉街はさぞや賑わっているのだろうと思います。
ところで、4月29日の昭和の日、午前中に時間があったので自宅から車で30分ほどの長湯温泉に行ってきました。鉄道は無く、バスも1日2便しかない辺鄙な場所ですが、昭和の風情を楽しめるお気に入りの温泉街です。
雨の中、露天の炭酸泉につかり、内湯でゆっくりしていると、隣に外国の方がやってきて、他のおじさんと同じくタオルを頭に載せて肩まで湯に浸かってリラックスしていました。どこで調べてどうやって来たのか。温泉が好きな人が集まる、こうした鄙びた温泉地で、ゆっくりと湯を楽しんでくれたらいいなあ、と思いました。


4月に入り、あちこちで桜が開花しています。
名所と呼ばれる場所は、大勢の人が訪れて混雑しているようです。
農村暮らしのいいところは身近に美しい桜がたくさんあることです。混雑とも喧噪とも無縁の、静かな花見が楽しめます。
個人的には、桜を見ると1年が巡ってきたことが感じられます。ぱっと咲いてぱっと散る。美しい時期は短く、葉桜を見上げながら、来年へ思いを馳せる。歳を経るごとに散る桜に切なさを感じてしまいます。


映画の思い出
宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を見てきました。ネットで座席を予約し、当日は予約番号でチケットが発行され時間になると指定した席に座り上映を待つのですが、なんかこう、ここでいつも隔世の感を覚えるんですね。
友達と初めて観に行った映画はスピルバーグ監督の『E.T.』(1982年公開)でした。その頃の映画館では同じ作品を1日に何度も上映していました。入口で入場券を買い上映の合間、お客さんの入れ替えの時に空いた席に座り次の上映を待ってました。そしてその気になれば上映後もそのまま居座って同じ映画を繰り返し観ることも出来ました。僕は経験が無いのですが、遅くまで飲んで終電を逃した時、オールナイトで上映する映画館で朝まで過ごすということもあったそうです。
あと思い出すのが、エンドロールになると席を立って帰るお客さんがいたことです。エンドロールも作品の一部だから全部観るべきだ、と主張する人もいたりしました。今ではエンドロールで席を立つ人はいないようですが、当時は同じ映画を繰り返し観れたので、恐らく既に何度も観た人がもう充分とばかり席を立ったのでしょう。でも映画のエンドロールで人々が立ち上がりざわざわしながら出ていくあの感じは好きでした。映画の終わり、夢の時間は終わって現実に引き戻される、祭りの後ではないですが一抹のさみしさを心地よいと感じたものです。
懐かしい昭和の思い出、あの頃は良かったなあとしみじみ思います。